『Cold Storage』を観た。観終わった直後、私はしばらくソファから立ち上がれなかった。ただし、それは純粋な恐怖のせいではない。怖かったのは確かだ。でもそれ以上に、笑っていいのか怯えるべきなのか分からない、あの奇妙な宙ぶらりんの感覚がずっと体の中に残っていて、それが妙に気持ち悪かったのだ。
没入してしまった——笑いながら怖がるという矛盾
正直に言うと、ホラーコメディというジャンルに対して私はいつも半信半疑でいる。怖がらせたいのか笑わせたいのか、どっちつかずになって両方ダメになる作品を何本も観てきたから。でもこの映画は序盤から妙な引力があった。ジョー・キーリーとジョージナ・キャンベルの二人が、閉鎖的な空間でじわじわと追い詰められていく過程がとにかく生々しい。キーリーの表情——あの、状況の深刻さを理解しているのに本能的にふざけてしまう人間特有の顔——を見ていると、ああ、人間って本当に恐怖の極限で笑うんだよな、と思い出す。あれは演技というより、ほとんど反射に見えた。
そしてリーアム・ニーソン。この人がスクリーンに現れた瞬間、映画の空気がごっそり変わる。重厚さとか威厳とか、そういう分かりやすい言葉では足りない。彼が持ち込むのは「質量」だ。物語にかかる重力が変わる感覚。レスリー・マンヴィルも同様で、この二人のベテラン勢がいることで、若い俳優たちのむき出しの恐怖が逆にリアルに映える。世代間の温度差が、そのまま作品のダイナミクスになっていた。
引っかかった——SF設定の甘さと、それでも許せてしまう理由
ただ、冷静なもうひとりの自分がずっと囁いていた。SFとしての設定、ちょっと雑じゃないか、と。「冷蔵保管」というコンセプト自体は面白い。閉じ込められた空間、生物学的な脅威、時間制限。ホラーの文法としては王道だし、そこにサイエンスフィクションの味付けを加えるアイデアには惹かれる。けれど中盤以降、科学的な説明がふわっとしたまま感情的なクライマックスに突入してしまう場面がいくつかある。ご都合主義とまでは言わないが、「もう少しそこ詰めてくれたら」と思う瞬間が確実にあった。
それでも——ここが悩ましいのだけれど——私はこの映画を嫌いになれなかった。設定の粗さを補って余りあるほど、登場人物たちの選択に説得力があったからだ。恐怖に直面したとき、人はロジカルに動けない。パニックする。判断を誤る。でもその「誤り方」が、この映画ではちゃんとその人間の性格から導き出されている。脚本の科学は甘くても、人間観察は鋭い。Jonny Campbell監督は、たぶんSFよりも人間のほうにずっと興味がある人だと思う。
結局これは、「恐怖の中でも人間でいられるか」という話だった
観終わってから何日か経って、私がいちばん思い返すのはラスト近くのある場面だ。ネタバレは避けるけれど、あの瞬間にキーリー演じる主人公が見せた表情は、恐怖でも安堵でもなく、もっと複雑な何かだった。恥ずかしいけど、私はあそこで泣いた。怖い映画を観て泣くのは変だと自分でも思う。でもあれは「怖いから泣いた」のではなくて、「人間がぎりぎりの状況でもまだ人間であろうとした」ことに胸を打たれたのだ。
恐怖と笑いは紙一重だと言う。この映画はその紙一重の上を、よろめきながらも最後まで歩き切った。完璧ではない。粗もある。でも粗があるからこそ、作り手の体温が伝わってくる作品だった。
ソシー・ベーコンの存在感にも触れておきたい。出番は多くないが、彼女が画面にいるときの不穏さは独特で、この映画のトーンを裏側から支えていたと思う。今後もっと大きな役で観たい俳優のひとりだ。
体感点数:71点


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