『ザ・ブライド!』を観た。マギー・ギレンホールが監督を務めたこの作品、正直に言うと、観終わったあと2日ほど引きずった。いい意味でも、悪い意味でも。
最初の30分で完全に飲み込まれた
スクリーンの前に座って最初に思ったのは、「ああ、これは丁寧に作られた映画だ」ということだった。ジェシー・バックリーが演じる”花嫁”が目を覚ます場面の静けさ、光の当て方、彼女の目の動き全部が計算されていて、でもその計算が気にならないくらい自然に積み重なっていく。私はあっという間に物語の中に引き込まれてしまった。
The Pop Score
Rating based on impact and craft.
クリスチャン・ベールの存在感はさすがというほかなくて、あの体の重力のかかり方、声の低さ、何かを抑えているような間の取り方。彼が画面にいるだけで空気が変わる。アネット・ベニングとペネロペ・クルスは出番こそ限られているけれど、それぞれのシーンに確かな体温があって、脇を固めるというより物語に厚みを与えていた。ジェイク・ジレンホールも兄妹ならではの空気感をマギー監督から引き出されているように見えて、キャスティングの妙を感じた。
でも、冷静になると気になり始めるものがある
恥ずかしいけど、私は映画を観ながら同時にもう一人の自分が動き始めるのを止められない。没入している私の横で、「あの伏線はどこに行ったんだろう」「この展開、少し急ではないか」とつぶやくもう一人がいる。
『ザ・ブライド!』は中盤から後半にかけて、そのもう一人がだいぶうるさくなった。ホラーとして積み上げてきた緊張感が、ある場面で突然ファンタジーの文法に切り替わる瞬間があって、そこで私は一度物語の外に弾き出された。ご都合主義というより、「監督が言いたいことに物語を引き寄せすぎている」という感触に近い。マギー・ギレンホールが俳優として持っている繊細さは画面に確かに宿っているのに、脚本の構造がそれをすべて支えきれていないもどかしさ。TMDbのスコアが6.3というのも、そういう部分が積み重なった結果なのかなと思う。
Blu-rayや配信でじっくり巻き戻しながら観ると、また違う発見があるかもしれない。
「作られた存在」は誰のために存在するのか
ここだけの話、私がこの映画を観終わって一番頭から離れなかったのは、アクションでも映像美でもなく、花嫁が「私はなぜここにいるのか」と問うあの表情だった。
フランケンシュタインの花嫁というモチーフは古くからある。でもマギー・ギレンホールがこの時代にそれを掘り起こしたのは、「誰かの欲望のために作られた存在」というテーマが今もなお更新され続けているからではないか。花嫁は怪物の伴侶として設計されたはずなのに、物語の中で自分自身の意志を持ち始める。その瞬間、彼女は「作られた目的」から逸脱する。
これは女性の自律の話であると同時に、もっと広い問いでもある。人は誰かの期待や社会の役割のために生まれてくるのか、それとも自分のために存在するのか。ピーター・サースガードが演じるキャラクターが体現するある種の「支配の論理」を見ながら、私は映画の外のことをしばらく考えていた。作品がそういう思考の入口になるとき、それだけで観た価値がある。
割り切れないままでいい、という映画
完璧ではない。物語のいくつかの結節点で、「もう少し」と思う自分がいる。でも、そういう映画を観たあとの宙ぶらりんな感覚が、意外と長く残る。すっきり解決してくれる物語より、何かしこりを残す映画の方が、ずっとあとになって自分の中で育つことがある。『ザ・ブライド!』は私にとって、その種類の作品だった。
ジェシー・バックリーのあの目が、まだどこかに残っている。
体感点数:67点


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