『The Housemaid』を観た。観終わったあと、しばらくソファから立てなかった。
ポール・フェイグ監督、シドニー・スウィーニーとアマンダ・サイフリッドが対峙するこのスリラー。原作はニータ・プロウズの同名小説で、「住み込みの家政婦」という古典的な設定が現代の欲望と狂気を纏って息を吹き返す。2025年の12月、まだ劇場の空気が肌に残っているうちに書いておかないと、この感覚が薄れてしまいそうで怖い。
The Pop Score
Rating based on impact and craft.
最初の30分で、私はすっかり騙されていた
正直に言うと、序盤はかなり引き込まれた。シドニー・スウィーニー演じる家政婦が豪邸に足を踏み入れた瞬間から、画面の空気がじわりと変わる。光の使い方が絶妙で、美しいのに息苦しい。広い屋敷なのに、どこか密室のような圧迫感がある。アマンダ・サイフリッドが演じる女主人の、微笑みの奥に何かがある目あの目に、私は最初から不信感を抱きながら、それでも「きっと誤解だ」と信じようとしていた。
そういう綱引きが、物語の前半ずっと続く。疑いたいけど信じたい、信じたいけど怖い。その揺れ動きにまんまと乗せられていた私は、あるシーンで「やられた」と声に出してしまった。スウィーニーの表情の変化が細かくて、彼女が「何かを知ってしまった人間」に見えた瞬間、私の心拍数もたぶん上がっていた。没入した。完全に。
でも、冷静なもうひとりの私がうるさかった
観ながらずっと気になっていたことがあって、それを書かずにいられない。
中盤以降、展開がやや加速しすぎる。伏線として丁寧に置かれていたはずのいくつかの要素が、回収されるというより「消費」されていく感じがした。特に、Brandon Sklenarが演じる夫の行動動機がかなり薄い。彼がなぜあの選択をするのか、もう少し内面を掘り下げる時間があれば、クライマックスの衝撃がもっと深く刺さったはずだ。恥ずかしいけど、終盤の「どんでん返し」の手前で「あ、これそういう構造ね」と読めてしまった。読めてしまったことに、少しがっかりした。
ポール・フェイグという監督は、もともとコメディの人だ。『ブライズメイズ』や『SPY』で見せた人間観察の鋭さは確かにこの作品にも宿っているのだけれど、スリラーとしての「締め付け」が甘くなる瞬間があった。笑いに逃げるわけでもなく、純粋な恐怖で押し込むわけでもない、その中間地点で揺れている感覚。それが「惜しい」と思う理由だった。
この映画が本当は問いかけていること
それでも、私がこの作品に引っかかり続けているのは、テーマの核心が鋭いからだと思う。
「家政婦」という立場は、家の中にいながら家の外の存在だ。すべてを見ているのに、何も持っていない。その非対称な関係性富と貧困、権力と従属、信頼と支配が、このジャンルを長年掘り続けてきた理由なのだと改めて気づかされた。スウィーニーが演じるキャラクターが次第に「加害者なのか被害者なのか」わからなくなっていく構造は、単純な「悪い金持ちvs弱い労働者」という図式を拒否している。
人間は、環境によって変わるのか。追い詰められたとき、どこまでが自分の意志でどこからが状況の産物なのか。そんなことをぐるぐると考えながら帰り道を歩いた。エリザベス・パーキンスが要所で放つ一言一言が、そういう問いに静かに火をつけてくれた。
観るべき人と、覚悟について
スリラーとして完璧ではない。でも、人間の「信頼」というものの脆さを、あそこまで官能的な映像言語で見せてくれる作品は珍しい。アマンダ・サイフリッドは今作でまた一段階、違う顔を見せてくれた。あの穏やかな笑顔の裏に何があるのか、観た人と話し合いたくなるほどだ。
Blu-rayや配信が解禁されたら、今度は一時停止しながら細部を確認したいと思っている。
モヤモヤと興奮と、少しの物足りなさが混在した鑑賞体験。それ自体が、この映画の正直な感想だ。
体感点数:71点
作品情報:The Movie Database (TMDb)


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