「善い」と「悪い」を決めているのは誰なのか。『ウィキッド 永遠の約束』を観て、しばらく動けなかった

映画レビュー

観終わった瞬間、しばらく席を立てなかった。エンドロールが流れている間、隣の人がポップコーンの袋をガサガサやっているのが妙に遠い音に聞こえて、自分がまだオズの国にいるような感覚が抜けなかった。『ウィキッド 永遠の約束』は、前作『ふたりの魔女』で描かれたエルファバとグリンダの出会いと別れの、その先の物語だ。

「悪い魔女」が背負ったもの

正直に言うと、前作の時点でエルファバに感情移入しすぎていた。緑色の肌に生まれたというだけで疎まれ、自分の信念に従って動いただけで「悪い魔女」のレッテルを貼られる。その構図が痛いほど現実と重なって見えた。本作では、そのエルファバが動物たちの自由のために孤独な戦いを続けている。誰にも理解されず、かつての親友であるグリンダとも溝が深まっていく。シンシア・エリボの歌声が、怒りと悲しみと誇りを同時に乗せていて、胸が締めつけられる。特に中盤、エルファバが自分の選んだ道を振り返る場面で歌う「No Good Deed」の重さは、前作を観た人なら一層こたえるはずだ。ここだけの話、私は声を殺して泣いた。

The Pop Score

Rating based on impact and craft.

8.8

グリンダの「善さ」という仮面

一方で、この映画が巧いのは、グリンダの描き方だ。「善い魔女」としてオズの国の民衆に愛されているグリンダだけれど、その笑顔の裏側にあるものを、アリアナ・グランデが繊細に見せている。名声を手にしながら、エルファバとの決別が心に深い影を落としている。グリンダは本当に「善い」のか。それとも、体制に迎合した結果として「善い」と呼ばれているだけなのか。この問いが映画全体を貫いていて、観ていて居心地が悪くなる瞬間がある。居心地が悪いのは、自分にもグリンダ的な部分があるからだろう。正しいことよりも波風を立てない選択をしてしまう、あの感覚。

カンザスから来た少女が壊したもの

物語の転換点になるのが、突如オズの国に現れる「カンザスから来た少女」だ。ドロシーである。『オズの魔法使い』で私たちが「善い側」だと信じていた登場人物が、このウィキッドの世界では全く違う意味を持って立ち現れる。視点が変わるだけで善悪がひっくり返る。これは映画の中だけの話ではない。歴史も、政治も、人間関係も、見る角度ひとつで英雄が悪者になり、悪者が英雄になる。ジョン・M・チュウ監督の演出は前作以上にスケールが大きくなっているけれど、物語の核にあるこの問いかけはむしろ小さく、個人的で、だからこそ鋭い。

「For Good」という答え

最後に、私がこの映画で最も心を動かされたのは、やはり「For Good」のシーンだった。エルファバとグリンダが互いに向き合い、「あなたに出会って、私は永遠に変わった」と歌うあの場面。友情という言葉では収まりきらない、もっと根源的な人間同士の結びつきがそこにある。恥ずかしいけれど、ここでも泣いた。正反対の道を歩んだ二人が、それでも相手の存在によって自分が変わったことを認め合う。その姿に、私は救われたような気持ちになった。意見が違っても、立場が変わっても、出会いそのものは否定できない。137分の上映時間の中で、この映画はそれだけのことを伝えるために、壮大な魔法の国を作り上げたのだと思う。

体感点数:91点

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作品情報:The Movie Database (TMDb)

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