スクリーンに最初に映るのは、一匹のビーバーが木をかじっている姿だ。ただそれだけなのに、その歯の質感、木片が飛び散る音、水面に広がる波紋の解像度が尋常ではない。ああ、ピクサーはまたやってきたな、と思った瞬間に物語が動き出す。『私がビーバーになる時』は、動物好きの大学生メイベルが意識をビーバー型ロボットに転送する技術を使って「動物の世界の住民」になるという、書くとちょっとバカバカしく聞こえる設定のアニメーションだ。でもこの「バカバカしさ」を本気で描くのがピクサーという会社で、その本気が今回も炸裂している。
最初の10分で「あ、これは子ども向けじゃない」と気づく
導入は軽い。メイベルは動物が大好きで、大学の研究プロジェクトで意識転送技術に出会い、ビーバーの群れに「入る」ことになる。ここまではファミリー向けの冒険活劇に見える。ところが彼女がビーバーとして池に入った瞬間、空気が一変する。池には池の掟がある。ダムの建設は生存に直結する共同作業で、よそ者が口を出す余地はない。メイベルが「森を守りたい」という善意で行動するたびに、群れから反発を受ける。この反発の描き方がリアルで、思わず姿勢を正した。
The Pop Score
Rating based on impact and craft.
ダニエル・チョン監督は『インサイド・ヘッド』のクリエイティブチーム出身で、「抽象的な概念を感情として描く」ことに長けている。本作では「人間が動物のためにやっていること」が、動物の側から見ると「余計なお世話」にしか見えないという構図を、一切の説教臭さなしに描いている。
ジョン・ハムのビーバーがやたら渋い
声の出演にジョン・ハムが参加しているのだが、彼が演じるビーバーの長老がとにかくいい。低い声で、余計なことを言わない。ダムの修繕シーンで若いビーバーが失敗したとき、一言も叱らずに自分の前歯で木を削り直すあの数秒間。あの場面だけでキャラクターの歴史が見える。メリル・ストリープが演じる鷹のキャラクターも見事で、動物の世界における「捕食者」の哲学を、静かに語る台詞がいくつかある。
恥ずかしいけど、中盤で泣いた。メイベルが初めてビーバーたちと一緒にダムを完成させるシーンで、彼女の意識がロボットの身体を通じて「水の流れを変えた」と実感する瞬間。映画はここで環境保護の話をしているのだけれど、その手触りは「自分が世界に影響を与えた」という原初的な喜びに近くて、年齢に関係なく胸に来る。
「もしも動物の世界に住めたら」の先にあるもの
この映画が最終的に突きつけてくるのは、「人間は動物の世界の一員ではない」という事実だ。メイベルは最後にビーバーの身体を離れて人間に戻る。戻らなければならない。どれだけ動物を愛していても、人間は人間として動物と関わるしかない。この切なさが、ラスト15分にじわじわと効いてくる。
ピクサーが『ウォーリー』で環境問題を、『カールじいさん』で喪失と再出発を、『インサイド・ヘッド』で感情の構造を描いてきたように、本作では「共生の限界と可能性」をテーマにしている。結論は楽観的だけど、安易ではない。動物と人間の距離を正直に描いた上で、それでもできることはある、と言い切る。その誠実さが、私は好きだった。
帰り道、公園の鳩を見て少しだけ立ち止まった。あいつらにも掟があるんだろうな、と思いながら。
体感点数:84点
作品情報:The Movie Database (TMDb)


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