『ベルセルク』を読み終えた、とは言えない。三浦建太郎先生が2021年に亡くなり、物語は未完のまま止まっている。だから正確には「読んでいる途中で止まっている」という状態なのだが、それでも書かずにいられなくなった。読み始めてから頭の中がずっと、ガッツのことでいっぱいだから。
世界に捨てられた男の話として読んでしまった
正直に言うと、最初の数巻は「ダークファンタジーのアクション漫画」として読んでいた。圧倒的な画力、容赦ない暴力描写、主人公のガッツが化け物をなぎ倒していく爽快感。そういうものとして楽しんでいた。
The Pop Score
Rating based on impact and craft.
ところが「黄金時代篇」に入った瞬間、全部が変わった。少年時代のガッツの話が始まり、傭兵団の中で育ち、初めて「ここにいてもいい」と感じられる場所を見つけていく過程が丁寧に描かれる。グリフィスという存在に出会い、仲間ができ、ガッツが生まれて初めて笑う。私はそこで完全に落ちた。没入というより、溺れた、という感じだった。
だからこそ、蝕(エクリプス)の場面では本当に苦しくなった。あれは漫画を読んでいて感じた痛みの中で、確実に上位に入る。頭で「これはフィクションだ」とわかっていても、手が震えた。ガッツが何を失ったか、どういう形で失ったか。あの絶望の質が他の作品とまったく違う。
「なぜ生きているのか」という問いを主人公に背負わせ続けること
冷静になって考えると、三浦先生がやっていることはかなり過酷だと思う。ガッツという人間に、普通の物語なら「死んで終わり」とされるような傷を何度も負わせて、それでも前に進ませる。なぜ進むのかという問いに対して、作品は長いこと明確な答えを与えない。復讐のため、とガッツ自身は言う。でも読んでいると、それだけではないような気がしてならない。
ここがこの漫画の核心だと思っているのだが、ガッツの「生きること」への執着は、目的から来ているのではなく、もっと根源的な何か言葉にするなら「意地」に近いものだと私には見える。世界に何度も殺されかけて、それでも死なないのは、目標があるからではなく、死ぬことへの拒絶として生きているような印象がある。それは希望とは少し違う。もっと暗くて、孤独で、それでいて妙に美しい何かだ。
圧倒的な画力の話をしないわけにはいかない
と、テーマ的なことばかり書いてしまったけれど、三浦先生の絵について触れないのはあまりに不誠実だ。一コマにかかっているであろう時間と情報量が尋常ではない。鎧の質感、草原の光、化け物の造形全部に「本気」が詰まっているのが伝わってくる。私が絵に詳しくないなりに断言できるのは、ベルセルクのページには「読ませる絵」ではなく「見させる絵」があるということだ。物語を追う手が止まって、ただ一枚の絵に見入ってしまうことが何度もあった。
恥ずかしいけど、何度か声を出した。「うわ」とか「は?」とか。一人で読んでいてよかった、と思うくらい。
単行本を手元に置いておきたくなる類の作品で、紙で読むことを強く意識させられる。
未完であることを含めて、この作品だと思う
三浦先生の急逝後、アシスタントチームであるスタジオガガと森恒二先生が連載を引き継いでいる。続きが読めることへの感謝と、でもどこかにある複雑な気持ちが混在していて、自分でも整理がついていない。
結局この作品が問い続けているのは、「何のために生きるか」よりも「何もなくても生きるとはどういうことか」という、もっと根っこにある問いだと私は思っている。目的も仲間も尊厳も奪われた人間が、それでも剣を持って立ち上がる。その姿がなぜこれほど刺さるのかを考えると、私たちが日常の中で感じている、言語化できないしんどさと地続きになっているからじゃないかという気がする。
未完のまま止まっているこの物語と、どう付き合っていくかはまだ決めていない。ただ、もう一度最初から読み返すつもりでいる。きっとまた傷を負いながら。
体感点数:97点
作品情報:The Movie Database (TMDb)


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