VISION ― 99分の家屋に押し込められた、戦場の質感
Warfareを観ているあいだ、私は何度か呼吸の浅さに気づいた。スクリーンには大きな爆発もスローモーションもなく、登場人物が叫ぶ前の沈黙ばかりが映っている。それでも体が緊張していた。アレックス・ガーランドとレイ・メンドーサが共同監督したこの99分の戦争映画は、2006年イラクのラマディで実際に起きた米海軍特殊部隊SEALsの作戦をリアルタイムに近い時間軸で再現した作品で、戦争映画という言葉が背負ってきたエンタメ的なお約束を、ほぼ全部捨てている。
映像の構造はシンプルだ。狙撃任務に向かったSEALsの分隊が、現地の民家を制圧して屋根裏に陣取り、外の通りを監視するうちに敵の急襲を受ける。その家の内部と通りだけが舞台になり、外の戦況は無線とドアの隙間から差し込む光でしか伝わってこない。観客に与えられる情報量は、屋根裏にいる兵士と同じくらいだ。視野が狭まる。だからこそ、足音や金属の擦れる音が異様な存在感を持って迫ってくる。
The Pop Score
Rating based on impact and craft.
美術と照明は禁欲的だ。家具の埃、壁の銃痕、薬莢の散乱、軍装備の重量感――それらが画面に過剰な感情を入れずに置かれている。光は窓の方角からしか入らず、屋根裏の影は時間とともに位置を変える。ガーランドは『28日後…』の脚本を書いた段階から「人間が逃げ場を失うときの空気の濁り」を撮ってきた人だが、ここではそれが戦闘という場に正確に移植されている。私は美大の油画コースで「光が室内に侵入してくる絵画」を散々模写したが、Warfareの屋根裏は、その光がそのまま暴力に変換されていく空間として機能していた。
EXECUTION ― 演出の判断が「省略」に集中している
脚本上の判断で最も賢明だと感じたのは、登場人物の背景説明をほぼ全部省いた点だ。SEALsの兵士たちには家族がいるはず、過去があるはず、政治的信条があるはず――それらがほぼ語られない。代わりに、彼らがいまここで何をするか、誰のフォーメーションでどう動くかだけが映される。これは戦争映画のお約束である「死ぬ前に故郷の写真を取り出す兵士」とは正反対のアプローチだ。観客はキャラクターに感情移入する余白を奪われたまま、彼らの作戦行動に同伴する。
負傷者が出たあとの演出の冷静さも特筆に値する。動脈出血、止血、モルヒネ、後送のための交渉――これらが医療マニュアルのようにテンポよく刻まれていく。負傷した兵士の絶叫は、編集で短くされない。延々と続く。その「延々」が観客の耐性を試してくる。スピルバーグの『プライベート・ライアン』冒頭のオマハ・ビーチが30分続いたとしたら、それは映画として成立しなくなる。Warfareはほぼ全編で、その「成立しなさ」のギリギリを試している。
カメラはほとんどステディカムか手持ちで、兵士の頭の高さに張り付いている。だから観客は彼らの肩越しに通りを見るしかない。広角で戦況を俯瞰する場面はゼロだ。これは『ブラックホーク・ダウン』のリドリー・スコット的な戦況図を捨て、『1917』のサム・メンデス的な没入主義をさらに押し進めた処理だ。観客が戦場を理解する手がかりは、ほぼ無線の音声と、誰がどこで叫んでいるかだけになる。
RESONANCE ― 音が場面を支配する瞬間
この作品の核心は音響設計にある。屋根裏に潜んだ兵士たちが最初に異変に気づくのは、視覚ではなく音だ。階下で何かが擦れる音、外の通りの足音の数が増える音、爆発音のあとの耳鳴り。爆発が起きたあと、登場人物の聴覚が一時的に喪失することを音響側でも再現していて、画面の中の音量が突然落ち、低周波の振動だけが残る。観客自身も同じように耳が塞がれた状態でその後の数十秒を過ごすことになる。これはハンス・ジマーの劇伴的な仕掛けではなく、現実の聴覚生理の模倣だ。
劇伴音楽は記憶している限りほぼ存在しない。代わりに環境音と無線通信が音楽の役割を引き受ける。SEALsチームのコールサインが無線で飛び交う声の重なり、息遣い、装備の擦れ、リロードの金属音。これらが音楽的なリズムを構築している。私はジョン・ケージの『4分33秒』を引き合いに出すのは大袈裟だとわかっているが、Warfareの音響設計は「音楽が消えた場所で、現実の音そのものが時間を組織する」という意味で、それに近い構造になっている。
個人的に最も動かされたのは、負傷兵をMRAP装甲車に乗せて後送する場面の音だ。装甲車のエンジンの低い唸り、振動による軽い金属音、傷口を押さえる手のリズム、負傷兵の浅い呼吸。それらが画面の暗さの中で重なり合い、説明のないまま「これが戦場のリアルタイムだ」と腹に落ちてきた。私はその場面で、何かを失っていく時間というのは映画の編集ではなく、こういう音の集合として体験されるものなのだと感じた。
DEPTH ― 戦争映画というジャンルへの内側からの問い
Warfareが提示しているのは、戦争映画というジャンル自体への内側からの異議申し立てだ。戦争映画は常に「戦争を描きながら、戦争をエンタメとして消費させる」というジレンマを抱えてきた。観客は安全な席に座って、暴力を物語として享受する。スピルバーグもキャスリン・ビグローもクリストファー・ノーランも、その構造そのものを完全に否定したことはない。Warfareはそれを否定しようとしている。物語的なカタルシス、英雄性、敵の悪役化、勝利の達成感――これらをほぼ全部削いだあとに、何が残るかを実験している。
残るのは、兵士の身体性と、戦場の質感と、時間の長さだ。それは観客に何を与えるか。少なくとも娯楽は与えない。教訓も、明確な反戦メッセージも、提示されない。ただ「これが起きた、これが体験された」という事実の質感だけが残る。私はそれが一種の倫理的な姿勢だと感じている。戦争映画を撮る者として、戦争を「物語化しすぎないこと」をどこまで貫けるか、その極限値を探っている作品だ。
IMPRESSION ― 観終わった直後と、数日後
観終わった直後の私は、長い息を吐くしかなかった。99分のあいだ、ずっと屋根裏に閉じ込められていたような感覚が抜けない。ロビーに出て夕方の空を見たとき、自分が映画から戻ってきたことを物理的に確認する必要があった。これほど身体的な疲労を残す映画は珍しい。
数日経って残ったのは、特定の場面ではなく、音の記憶だった。装甲車の中の振動、屋根裏で滴る水滴、無線の声の重なり。映画から得た情報は薄いのに、感覚の記憶は濃い。これは映画というメディアが普段やっていることとは逆だ。普段の映画は情報を強く与え、感覚は補助として残る。Warfareは感覚を強く残し、情報は最小限に抑える。その逆転が、長く効いてくる。
CLOSING ― 誰に薦めるか
戦争映画として娯楽性を期待する人には薦められない。物語的な満足を求める観客には不親切な作品だ。しかし、戦争という事象の質感を、フィクションが捕まえられる限界の手前まで連れて行く試みを観たい人には、強く推す。映画館の音響でこそ完全に体験できる作品で、家で観るとおそらく半分も伝わらない。私はもう一度、別の劇場で観るつもりでいる。確認したいのは、あの音の重ね方が、二度目でも同じように呼吸を浅くするかという点だ。
TEMPERATURE ― 温度感
◎ 熱狂
体感点数:91点
戦争映画というジャンルの内側から、ジャンル自体を解体しようとする作家的な意志が貫かれている。音響設計が画面を支配し、観客の身体に直接介入してくる稀有な作品。エンタメとして成立しなくなるギリギリを探る作りは賛否を分けるが、私はその踏み込みに完全に動かされた。
この記事を書いた人
零(れい)
映画・アニメ・漫画を深く観るための考察ブログ FRAME ZERO の書き手。没入と批評の両立を目指している。感動すると素直に泣くし、演出の粗も気になる。最終的にはいつも人間に興味が行き着く。


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